構居(かまい)とは、城とは呼べないレベルの防御施設。
現在は方形状に十五社神社と公園が建てられており、かつては四方を小規模な川に囲まれていた。堀は川を利用して造られたもので、堀幅は約6メートルあった事が判明している。
「播磨鑑」にも記載があり、赤松氏の一族、魚住氏の城。
魚住氏は代々明石の魚住城に居城していたが、赤松政村(1513〜1565、義村の子)の頃に、魚住吉長が安田城に居城を移す。
三木合戦の折には毛利軍からの兵糧の補給基地とするため魚住城が改築されるが、三木城の落城の前に毛利軍が引き上げその存在理由がなくなり廃城となった。
安田城も同じ運命をたどったと思われる。