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伏見桃山

 伏見は東山から連なる丘陵の最南端に位置し、南にはかつて巨椋池が広がり水運により大坂と京都とを結ぶ要衝の地であった。

 1594年(文禄元年)豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため築城(指月伏見城)したが、完成直後、慶長伏見地震によって倒壊した。

 このため、指月から北東約1kmの木幡山に新たな城が、翌1597年(慶長2年)に築かれた(木幡山伏見城)

慶長3年に秀吉が城内で没すると、遺言によって五大老筆頭の徳川家康がこの城に入り政務をとった。関ヶ原の戦いの際には家康の家臣鳥居元忠らが伏見城を守っていたが、石田三成派の西軍に攻められて落城し大半が焼失した。

 1602年(慶長7年)頃家康によって再建され、(徳川期木幡山伏見城)家康はじめ、三代目徳川家光まで伏見城で将軍宣下式を行っている。1619年(元和5年)に廃城とされた。このとき建物や部材は二条城、淀城、福山城などに移築された。跡地には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられて桃山と呼ばれるようになり、現代に至り伏見城は桃山城あるいは伏見桃山城とも呼ばれるようになった。

 本丸跡などの主郭部分は明治天皇の陵墓(伏見桃山陵)とされたことから、現在も無許可での立入りが禁じられている。

 

伏見城の花畑跡に1964年(昭和39年)に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、5重6階の大天守と3重4階の小天守、櫓門などを伴った模擬天守が当時6億円をかけ鉄筋コンクリート構造で造られた。2003年、遊園地は経営母体である近鉄によるリストラの一環で閉園、模擬天守は保存されることとなり無償で京都市に贈与され、運動公園として整備された。ただし、模擬天守は耐震基準を満たしていないため内部非公開となっている。近年では、映画やドラマでしばしば大坂城等に見立てて撮影に使われている。

 附近の御香宮神社には、移築された大手門、石垣の余った石等が保管されている。御香宮神社にも行くなら近鉄伏見桃山駅からがベスト。

 

 現在の天守などは洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にしてつくられたらしいが、史実とは無関係。にしても鉄道会社が遊戯施設のために造ったにしては立派でそこそこ古くなって味わいも出てきている。無料で間近に見れるようになっているのは有難い。昔(キャッスルランド時代)は望楼に上がれたのだが・・・

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