top of page

柴島

 柴島(くにじま)の地は、かつて淀川と旧中津川に囲まれた中州にあった。近代の淀川改修事業で中津川も廃川となってしまい現在その地形は失われている。城跡の大きさは二町四方で、周囲より四尺ほど高い畑地があったとしているが、その畑地は現在大阪市立柴島中学校となっている。遺構などは全く残っていない。

 城跡の東側に柴島神社(字白妙)が建っていたが、先の淀川改修事業で約600m北側の字調布に移築された。柴島神社は現在の場所字調布ではなく、明治以前は外島(字白妙)にあった。

 対岸には榎並城、近隣には堀城(中島城)があり、これらの城同様、西国からの京への拠点で重要視されていた。三好長慶の弟・十河一存が築城か。江口の戦いでは三好政長派の細川晴賢がいる柴島城を三好長慶軍が大軍をもって攻め落城させている。

 その後稲葉紀通の居城となり、大坂夏の陣では東軍の大和方面軍に組み入れられた。紀通は福知山藩に移封され、いつごろから廃城になったのか不明。 

阪急電車千里線柴島駅徒歩約10分

近隣に駐車場なし

bottom of page