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はな治部少輔の
城攻めッ!

桶狭間古戦場伝説地

よろいかけの松の旧地碑
中京競馬 場前駅のすぐ脇に、今川義元が休息を取るため鎧を掛けたといわれる松があったが、枯れてしまった。

史蹟・桶狭間古戦場伝説地碑
駅からすぐの有難い立地条件。東海道沿いにあるため、江戸時代から観光スポットだったとか。

小さく「伝説地」

古戦場-説明

七石表(しちせきひょう)・一号碑
1771(明和8)年に尾張藩士人見弥右衛門桼・赤林孫七郎信之によって建てられた七基の石碑。一号碑は今川義元の戦死した場所を示す。

今川治部大輔義元墓
明治9年有松の山口正義が建てた。旅人が義 元の墓と間違えて弔古碑に香華を手向けたりしていたため、改めて周辺を整備し義元の墓碑を造った。

今川治部大輔義元墓

桶狭弔古碑
1809(文化6)年津島の神官氷室豊長が古戦場が放置され荒れ果てていくのを嘆き、その由来を明らかにする為建てた記念碑。

桶狭間弔古碑(現代文訳)
「桶狭間の北に陣を布き」「奇兵をもって攻めた」等の記述がある。江戸時代に造られたものではあるが、氷室豊長は松井宗信の子孫。

桶狭間合戦奇襲の真実
この本の著者・太田輝夫氏が観光ボランティアで公園内におられて、興味深いお話を伺うことができた。

進軍ルート
近年では織田軍の正面攻撃説が優勢だが、奇襲説となると、こちらの豊明市の古戦場跡が有力候補地になってくる。

石碑配置図
これと同内容のパンフが、中京競馬場前駅南の駐輪場窓口で無料でもらえる。
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