top of page

はな治部少輔の
城攻めッ!

本能寺の変

本能寺跡石碑
四条通りから小川通りを北へ数分。昔からある石碑へ到着。

本能寺跡石碑
ご覧の様に、碑が街中に静かに佇むのみなので、見落としてしまいそうになる。

本能寺跡プレート
石碑のある場所から1区画だけ西へ行くと、南側に最近造られたであろうプレートが。

本能寺跡プレート
こちらでは、「能」の字が正式の漢字になっている。

本能寺跡プレート説明
度々火災に見舞われた為、「ヒヒ」と書くのを憚ったという。その甲斐無く、また炎上してしまったのだが・・・

本能寺町方面
碑のある所は最南端で、本来はこれより北側が本能寺の中心だったようだ。

茶屋四郎次郎屋敷跡
本能寺石碑から目と鼻の先にある。茶屋といえば徳川本能寺の変を逸早く家康に伝えた人物。この近さなら頷ける。

信長首洗いの井
こちらは病院の中庭にあり、云われも不明だがGoogleMapには表示されている。

信長首洗いの井
ちょっと待ってくれ、信長の遺骸は発見できなかったはずでは?まさか、住職がこっそり墓に持っていた件?

南蛮寺跡
最後に徒歩5分無い程度で南蛮寺に到着。もっとも、最初見落として見つけられなかったのだが。

南蛮寺跡石碑
信長が切支丹を保護して建設を許可した。一説では、地下で本能寺とつながっていた!?

南蛮寺跡_説明
秀吉の伴天連追放令が出されるまで、京における布教活動の拠点であった。
bottom of page