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古大内

 JR東加古川駅の北東にある大歳神社付近が城跡と推定され、境内に石碑がある。詳細は不明。日本城郭大系に「赤松氏の祖、源秀房の城」とのみ記載。この秀房も謎の人物でよく判らない。

 ここより約0.5kmに野口城がある事から、戦国期に存在したかは疑問である(出城的な役割を果たした可能性は考えられるが)。

 すぐ近くに「駅ヶ池(うまがやいけ)」があり、それにつながる水路もあるので、当時からあったとしたら、防御の一端を担ったとも考えられる。

 大歳神社は古大内(ふるおうち)城だけでなく、近年では「古大内遺跡(賀古駅家〔かこのうまや〕)」の場所とも考えられるようになっている。奈良時代後期から平安時代中期にかけて、交通の重要地であり、政治・行政・産業にわたり第一級の拠点であったと言われ、国内で最大規模の駅(駅馬40匹を置いていた)だった。恐らく源秀房なる人物も、賀古駅家跡地であるこの地に目をつけ、築城?したものと思われる。

駅ヶ池

 播磨鑑によると、この近くの教信寺の開基教信上人が農耕を手伝うかたわら、池の必要を感じ、正安初期にこの地に池を造った。大化2(646)年頃創建された賀古駅にちなんで名付けられたものと思われる。池の北・東は土地が高くなっており、西・南を堰きとめて池にしたと思われる。

 ある時、教信上人が土地の人にもらった鮒を食べたところ、それを見た者から「僧にあるまじき行為」と非難された。そこで教信上人はその者を駅ヶ池ヘ連れていき、「仏道修行者は魚を食うもよし、食わぬもよし」と口から吐き出したところ、鮒は何事もなかったように泳いだと伝えられている。

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