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はな治部少輔の
城攻めッ!

小松山の戦い

玉手山公園見取図

玉手山公園の由来

東方面の眺望
大和口より来襲する幕府軍を睨む、高台にある要地だった。

玉手山1号墳
後藤又兵衛隊は、古代に造られた古墳群を活かすべく、この地を本陣とした。

大坂夏の陣の供養碑
玉手山1号墳の頂部にある。両軍の戦死者の菩提を弔う。

大坂夏の陣の供養碑

北方面の眺望
中央にわずかに大和川の堤防が見える。ここから石川・大和川の合流地点が近い。

後藤又兵衛基次の碑
大坂夏の陣の供養碑の近くにある。

後藤又兵衛基次の碑
片倉景綱の従士が放った銃弾で重傷を負う。

後藤又兵衛-説明
かすれていてよく読めない。

吉村武右衛門と後藤又兵衛の碑
最後は武右衛門を招き寄せ「我が首を打ち深田に埋め敵手に渡すな。」と厳命し、その生涯を終る。時に齢五十有六才。

大坂夏の陣古戦場-説明
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