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はな治部少輔の
城攻めッ!

久米田の戦い

貝吹山城の濠
永禄4年、突如として岸和田城を取り囲んだ畠山高政に対抗すべく、三好実休(義賢)はここ貝吹山城に布陣した。

貝吹山古墳の頭頂部を見る
対陣から7か月、実休が布陣する貝吹山城に畠山高政、安見宗房(直政)らの軍勢が魚鱗の陣形で攻め入った。

貝吹山古墳の後円部を見る
結果、三好実休は討ち取られ、畠山に完敗を喫してしまう。

貝吹山古墳の濠
現在では、濠は南から東西にかけ残っている。

古墳上部の様子
河内・淡路・阿波衆7千人が来援してというが、それほど広くない。篭ったのは本陣だけなのだろう。

貝吹山古墳の前方部を見る
先人の墓である古墳は戦国期、砦や城としてしばしば利用された。

貝吹山古墳の頭頂部
このように自由に古墳内に立ち入る事ができるのは、有難い。

頭頂部からの眺望
木さえ無ければ、そこそこ遠くまで見渡せる。敵の動きを見るには最適のロケーション。

頭頂部からの眺望
久米田寺が見える。

頭頂部からの眺望

貝吹山古墳の頭頂部を見る

久米田寺の多宝塔
古墳を後にして、久米田寺へと向かう。
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