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小松原城

 鎌倉時代中期、赤松盛忠は弘長元年(1261)六月、北条重時に仕い武功によって播州印南郡小松原の地を与えられ、これより姓を小松原盛忠と改め築城する。

 中世の城は環濠城郭集落である。今日なお外には環濠の跡、内にはT字路、要(かなめ)に社等の配置を見ることができる。

 赤松家は六十二代村上天皇の第七皇子具平親王を祖とする播磨国の名門である。小松原城歴代の城主は、次の通りである。初代、小松原盛忠-二代、義景-三代、景満-四代、永春-五代、春武-六代、武香、二百余年にわたり赤松一門は、加古・印南両郡内各地に主長として君臨している。

 初代盛忠公の墓碑多重塔及び一族の五輪等は、大福寺、どろま地蔵堂に多数現存している。小松原盛忠公は、城主のみならず、高砂市における中世の武将であり、政治、経済、文化の偉大な貢献者である。城址の碑建立に際し、祖先の足跡を偲び顕彰する次第である。

 以上、案内板より

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