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はな治部少輔の
城攻めッ!

誉田の戦い

石川-説明
古くは博多(伯方)川という。

石川
西側の眺望。生き残った後藤隊はほぼ壊滅状態、写真の方角へと逃げ落ち、幕府軍は川を渡って追撃した。

玉手橋
昭和3年大阪鉄道(現:近鉄)が、道明寺駅と玉手山遊園地への通行路として設置。

玉手橋
玉手山遊園は閉園となったが、平成13年吊り橋として全国初の登録有形文化財登録。

対岸から見た玉手山
玉手橋を渡り、南下して誉田(こんだ)を目 指す。

小松山と玉手山
右に玉手山、左に小松山。尾根伝いの高台だとわかる。

薄田隼人正兼相の墓
冬の陣の失態で「橙(だいだい)武者」とあだ名される。汚名返上する為、悲壮な覚悟で道明寺に出陣。

薄田隼人正兼相の墓
到着した時すでに後藤隊は壊滅した後だった。兼相は大軍相手に一歩も退かず健闘するも多勢に無勢、討死に。

薄田隼人正兼相の墓-遠景
それにしても場所がわかりづらい。誉田中学校グラウンドを越え、畑の農道(写真奥中央)から来た。ひっそりとある。

誉田の戦い-戦場
今はのどかな風景が広がる。西名阪自動車道の向うに玉手山も見える。

東高野街道の石碑
かつてこの辺りは賑わいを見せていた。絵で残っている。

東高野街道の石標
誉田八幡宮は、東高野街道沿い、応神天皇陵のすぐ南にある。
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