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山崎城

古来、大山崎は軍事・交通上の要衝として歴史上重要な役割を果たしてきた。とりわけ軍事上最重要となるのがこの天王山である。室町時代の応仁・文明の乱の時には天王山に城が築かれ、度々合戦が行われた。やがて最も知られる天下分け目の天王山「山崎合戦」が天正10年(1582)6月13日明智光秀軍、 羽柴秀吉軍との間で繰り広げられた。合戦は明智軍1.6万人、羽柴軍4万人が激突し、わずか2時間程度で決着。羽柴軍の一方的な勝利に終わった。合戦直後、秀吉は天下統一を目指すため天王山山頂に天守閣を備えた城を築城した。麓の宝寺 (宝積寺)まで含めた大規模な城だったようである。大坂城が完成すると 秀吉も大坂城に移り、 城は1年余りで壊された。

 登山口は阪急・JRの各駅からほど近い。登山がいかほどか心配したが約45分程度でほどよい運動レベル。休日という事もあってか登山する人を多く見かけた。
 他サイトを見るとどうやら石垣を見落としたらしい。食い違い虎口なども撮り漏らしている。も少し勉強してから行かねえと。
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