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籾井城

 安田城・福住城とも。永正年間(1504年~1521年)籾井照綱により築城と伝わる。 籾井氏は福住十五村を支配して足利氏に仕えていた。天正年間には織田信長の部将明智光秀がたびたび丹波国へ侵攻するようになる。この時の城主は籾井綱利で、父綱重は次男綱正を従えて安口(はだかす)城に隠居していた。天正4年(1576年)激戦の末に明智光秀を撃退するが、天正5年に大軍をもって押し寄せた光秀によって落城し、城主綱利は自刃したという。黒井城主の赤井直正が波多野氏の赤鬼と呼ばれたのに対して、籾井城主の籾井教業が青鬼と呼ばれ勇猛な武将として伝承されているが、教業に関してはその実在が疑われている。

籾井川の北岸の山頂にあり、京より丹波へ入る要所に築かれている。近くの安口城も行きたかったが、どの山か判らなかった。車は禅昌寺の駐車場をお借りして、登山すること約35分。傾斜が緩やかゆえに距離はある。比高の割りにはしんどい。
 北の土塁・堀切・土橋は必見。
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