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篠ノ丸城

 南北朝期の始めころ釜内小次郎範春により築城されたという。その後嘉吉の乱により落城したが、赤松政則が赤松家を復興させた時に篠ノ丸城も宇野氏を城主に迎え、回復をとげたらしい。1571年には出雲の尼子氏の侵略をうけ落城、2年間の尼子氏の支配を受けたあと、再び宇野氏が返り咲く。天正八年(1580)の羽柴秀吉による播磨平定の際に黒田官兵衛が入城し、同十五年には木下勝俊が龍野から入封。その時に篠ノ丸城は廃城となり、平城である山崎城が築かれる。

 

  
最上山公園を車でいけるところまでいって駐車、篠ノ丸城跡の石碑のところから歩いて登城。本丸までは約20分。
 妙見社のある曲輪を中心に連郭式 に曲輪群が良く残っている。 西の展望台がある曲輪からの眺めが素晴らしい。 山崎の小さな盆地、その町の中にある山崎城が手に取るように見え、ここに城が築かれた理由が、肌で感じることができる。
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