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松坂城

 国指定の史跡。梯郭式平山城。

 1584年(天正12年)近江国日野城6万石より蒲生氏郷が伊勢国12万3千石で松ヶ島城に入城。氏郷は、四五百森(よいほのもり)に新たに築城。この地を松坂と名づけ、本丸には3重5階の天守を建てる。

 1590年(天正18年)氏郷は小田原征伐の功により陸奥国会津60万石を得て若松城に移封。代わって服部一忠が入城。

 1595年(文禄4年)服部一忠は豊臣秀次事件に連座して自害。次いで古田重勝が3万4千石で入城。その後、家康より2万石を加増される。

 1619年(元和5年)古田氏は石見国浜田城に転封となり、南伊勢は紀州藩の藩領となる。松阪には城代が置かれた。

 1644年(正保元年)に天守が台風のため倒壊したとされ、以後は天守台のみが残ることとなった。

 1794年(寛政6年)二の丸に紀州藩陣屋が建てられた。以後、紀州藩領として明治維新を迎えた。

 1871年(明治4年)廃藩置県により廃城となる。

 1877年(明治10年)失火により二の丸御殿を焼亡。

 1881年(明治14年)までに、他の建造物も概ね破却された。現在は殿町御城番に米倉のみが現存している。

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