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八上城

 八上城(やかみじょう)は、丹波の国人である波多野氏が本拠とした山城。国史跡。別名は八上高城。篠山盆地のほぼ中央南部寄りの高城山および西隣の法光寺山に位置し、山陰街道を見下ろす。本城と支城が城下を挟み配置される中世山城の特長を伝えており、貴重である。

 応仁の乱で戦功をあげた波多野稙通が16世紀前半築城。弘治3年(1557年)に一度松永久秀によって城を奪われたものの、永禄9年(1566年)に波多野晴通秀治が奪還。天正3年(1575年)に織田信長の命を受けた明智光秀が来襲、兵糧攻めにより天正7年に落城。波多野氏は滅亡した。その際、光秀の母(伯母とも)が磔になったのは有名。

 慶長7年(1602年)、前田茂勝前田玄以の子)が八上五万石を領して入城。慶長13年に茂勝が改易、入封した松平康重が篠山城を築城したため八上城は廃城に。八上城では数多くの籠城戦が繰り返された(特に三好軍と再三バトル)山全体が要塞化しており、難攻不落である。

 篠山城にほど近いので、セットで。近隣に駐車場が無いのでご注意を。標高から登山は甘くないと考え今回は断念。
遺構としては郭、石垣、堀切、土塁、井戸、堀があるらしいのだが・・・
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