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はな治部少輔の
城攻めッ!

設楽ヶ原

首洗池
織田軍が討ち取った武田軍の首を洗ったという池。心なしか今でも少し赤いような気が・・・

首洗池
戦死者は1万を越すとも云われる。なるほど大きな池ではある。

土屋昌次ノ墓
元の姓は金丸。主に関東方面で活躍した勇猛な武将。二十四将のひとり。

土屋昌次ノ墓
従士・温井昌国はここまで主君の首を持ち帰り埋めたのちに切腹して果てた。

真田昌輝・信綱の碑
このあたりは三子山という。丸山砦の東手にあたる。退却戦で昌輝が戦死した地だろうか。信綱は第一の柵を破ったのち討死。

真田昌輝・信綱の碑
幸隆の長男・信綱と次男・昌輝がそろって討死した事により、三男・昌幸が真田を継ぐことに。

勝頼の進軍路方面
三子山より撮影。勝頼うごく。大まかには建設中の新東名高速の左から右へ。

橋詰殿戦場
武田軍総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信房らは、主君・勝頼を落ち延びさせるべくこの地で最後の戦いを試みた。

馬場美濃守討死ノ碑
馬場美濃守は出沢の谷の小高い所に登り、主君勝頼を見送った後、この緒巻桜の下で首を与えたという。

緒巻桜-説明
訪れる人が少ないのか、道中は蜘蛛の巣がやたら張っていた。「ふぢう道」の石標が最終の目印。

織田信忠本陣地
天神山にある野辺神社。

織田信忠本陣地(野辺神社)
さすがに大事な嫡男・信忠は後方に陣を張らせたようだ。
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